第1話 PCは打ち出の小槌?
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はじめまして。kei*BEANです。
私は今年6月、某掲示板で知り合った大先輩、Hさんの勧めでHTMLの道に入りました。HさんはシニアになられてからSOHOを始めた方で、システムとプログラムの専門家です。NHKの“クローズアップ現代”という番組で1ヶ月の長期取材を受けられた方でもあるんです。ご存知の方もいらっしゃるかもしれません。
Hさんは私に“XMLのタグ打ち屋”を目ざしたら?と言ってくださいました。でも、HTMLも何も知らない私です。爆。
まずは、HTMLを知ることから、私のWebへの一歩が始まりました。その後、Webの魅力にとりつかれ、XMLではなく「Webデザイナー」の道を自分で選びました。
なんといっても「好きなことを仕事にするのが一番」です。現在は、まだ生まれたてのホヤホヤ、Webデザイナーの卵の前説というレベルですが。
それ以前にはPCを含めて17年間の業務経験(※)がありました。
※ 印刷業界で書籍・出版物の入力をしていました。約20年前の印刷業界はワープロが主力機です。電算写植といって、「レイアウト構成」「テキスト入力」「フォント・レイアウトの出力」の3工程に分業化されていました。現在「印刷」といえば「DTP」ですが、このソフトは従来の3工程が1工程で済んでしまう画期的なソフトです。私の業務歴とは「DTP以前の印刷業界」での経験を指しています。印刷会社の専属外注として、日中は会社で作業、夜は家で深夜まで作業と、会社の主力として17年間フルに働いていました。
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仕事のほうは3年前に完全に区切りをつけ、以来家庭で趣味三昧の暮しをしてきました。 書道に、花作り、古代布で木目込みの創作をしたり。また地域行事や学校行事にも積極的に参加していましたねぇ。
何しろ専属外注の仕事を始めて以来、初めて母親らしい生き方ができた数年間でした。
それがまたどういうわけかPCの世界に舞い戻ることに…。
人生とは不思議なもの。年齢も高くなったのに歩いたこともない道を選び、最初の一歩そしてまた次の一歩と重ねていってます。そう、気が付けばいつの間にか。
年と共にいろんな体験を重ねてきた今だからこそ、遅いけど確実に、新たなる一歩を踏み出すことができるのかもしれません。
これはそんな私の軌跡を綴ったすとーりぃです。どうぞ、私の新しい足跡の上にそっと手を置いてみてください。きっとまだぬくもりが残っているはずです。。
私とPCとの関わりはほとんど業務絡み(※)です。
※ 業務を請負っていた印刷会社で、入力機がワープロからPCへと切り替えられたのは今から6年前のことです。PCもWindowsが指定されました。ですがワープロ専用機のような生産性はWindowsにはありません。会社では、DOSに“マイフェス”という高速エディタを載せた作業、つまり「印刷業界のDTP化」という流れに逆行した道を選びました。つまり「今ある設備を活かそう」と。「DTP化」するには、外注全員がソフトを購入しなければなりません。外注職は個人事業主なので、会社が「雇用」しているのではないため、外注職の負担も考えて会社の方針を出さねばなりませんでした。会社と外注──車の両輪のような関係でそれぞれに独立した存在ということですね。外注の負担を強いないため、更に会社自身が「新たな設備投資」を避けるための選択だったと思います。またそれだけでは「会社の先行き」が成り立ちませんから会社は3部門に分けられました。「システム開発」「Web・動画」「従来の出版物」の部門で、東京・岡山・鳥取と点在しています。 |
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今から8年前、会社ではまだ業務用ワープロで仕事をしていましたが、個人的には「先行投資」としてPCを購入しました。
一番最初に購入したPCは液晶ノートでWindows3.1。まだ液晶が出始めの頃で75万もしました。今は娘の部屋の押入れで眠っているはずですが…。75万、あぁ、もったいない。合掌。
家でPCをつついているのが会社の知るところとなり「DTPの仕事をやらないか?」と声をかけてくれました。当時DTPと言えばまだ印刷業界でも一部しか導入されていません。「いいですねぇ」と私も同調したんですが、「今はソフトの選定段階。keiさんとウチで購入してどちらか1本に絞ろう」と言われました。ソフトの価格はなんと300万。
「は!?」思わず目が点になるし、開いた口が塞がりませんでした。「何でそんなに高いんでしょう?」「業界限定ソフト」──笑ってその場でお断りしましたね(※)。今考えると惜しかったかも。。取らぬ狸の皮算用でいけば、数千万の累積収入にはなっているはず…。
特化分野といえど独占的利益を享受できるのはいつも先行組です。
でもね、やっぱり先立つものがないことには先行組にもなれやしない。この話はこれで逃げていきました。笑。
※ 「今までたくさん儲けてきたのに、ナゼ?」と言われました。笑。300万というのは私にとっては「屁のような金額」(笑)だと思っていらしたそうです。私は家庭の事情を話しました。その話に納得していただき、その後、社内の「DTP化」を諦めた会社はDTPで作業する必要のあるものは、SOHOグループに発注するようになりました。
続いて購入したのが98シリーズのタワー型。Windows98が華々しく世に出た直後に98シリーズを購入。逆行も甚だしいんですが、専属外注として働いていた会社で「他との互換性がない(※)から98シリーズにして」とのことで98NXの購入は断念。Windowsの時代にまだMS−DOSで仕事をしている会社です。風の便りでは今年の年末にやっと98NX&WORD97に移行するそうです。驚。
このPCは今はおじいちゃんの部屋にあります。ボケ防止用だったんですが、「時代の先端を行くおじいちゃん」をエンシュツする飾り物になっています。笑。
※ NECは日本IBMが開発したDOS−V規格とは異なる規格を開発。これがPC98シリーズで、後から登場したPC98NXシリーズとは規格が異なるため両者に互換性はありません。 |
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私は3年前にやっと外注職に区切りをつけることができました。
旦那へ一言、「もう辞めるからね」──これできれいサッパリ仕事を辞めました。長い間の業務で心身ともに「硬くなった消しゴム」状態。子どもも産みっぱなしでおかまいなし。忙しい時には弁当屋さんが頼りの食生活。掃除、洗濯、何もかも溜まり放題。そんな生活に疲れ果てたんでしょう。
仕事の切れる時がなかったので常に「仕事しなきゃ」と追われるような焦りがありました。でも、辞めたらそれがどこかにふっ飛びましたね。とても楽になりました。
心身ともに回復した頃から、どんどん好きなことをするようになりました。一番は花作りです。道行く人がみな足を止めて「きれいねぇ」と声を上げるほどに咲かせました。花は手をかければかけるほど美しく咲いてくれます。冬の寒さに耐えて春を迎える花ほど美しいものはありません。
子どもの勉強もわからないままに放置していたところを母子でいっしょに取り組んでいきました。大晦日、正月、土・日、関係なしの毎日継続の学習でしたが、よく続いたと思います。3ヶ月以上かかりましたが、彼は出来るようになりました。私も彼に対して穴埋めが出来たような気持ちになりました。
母として主婦としてとても充実した毎日だったんですが、ある日旦那が「働いてくれないか」って言うんです。旦那は○○電力の下請会社の役員なんだけど、それこそ電力の自由化で下請は大きな転換点にきていたんですね。嘆。1軒当りの電気料金が年間約4000円安くなるということは新聞で知っていましたが、電力会社は500億円の減収となるらしく、そのツケは下請各社に回ってきます。でも私がまた働いたとしてもナンボになるんだろう。
さあ、次の職をさがさなくっちゃあ!
世間は不況の嵐が吹きまくっています。さて、どうするかなぁ??
次回は 「“資格商法”に導かれて」 です。それではまた次回。 |